2011年10月31日月曜日

ペンは剣に弱し

エドワード・ブルワー・リットン











  最近の「朝日」や「読売」など大新聞の、TPP(環太平洋経済連携協定)参加をさけぶ社説の連続には、あきれてしまいます。
   「開国をいそげ、さもないと、日本は世界から取りのこされる」と、根拠のないおどし文句をくりかえし、世論を誘導しようと必死です。

   先日、大新聞の論説委員OBやジャーナリストの集まりである「国民政治協会」によばれて、話をしたときも、もと大新聞の論説委員の方から、「経済成長に役立つのに、なぜ共産党はTPPに反対するのか」と質問をうけました。

2011年10月30日日曜日

絵本のすすめ10-「ないしょのおともだち」











   きのうは宮城県石巻市で商工会議所の方々と、水産加工業の復興、とくに二重債務の問題について、話し合いました。一刻もはやく、対策をすすめないと、被災地の中小企業は立ち上がれなくなってしまいます。

   けさ、高速バスで、石巻から仙台へ。 バスはほぼ満席。とちゅうの停留所で、4、5歳くらいの女の子とお母さんが乗ってきました。女の子は空いていたわたしのとなりの席に飛びこむようにすわり、お母さんはその横の補助椅子に。

   桜色のほっぺをした女の子は、バスが動きだすと、赤いリュックから1冊の絵本をとりだしました。

2011年10月29日土曜日

神田古本まつり









   おとといの夜、議員会館前で、バックしてきた内閣府の車に、後ろからぶつけられました。けがは大したことなく、念のためお医者さんに診てもらったら、左足のじん帯が少し損傷しているとのこと。わずかに足をひきずる程度で、数日で治る見こみ。

   きのうは、国会質問を終えたあと、自宅で安静にしていようかとおもいましたが、神田の古本まつりが来月3日までで、昨夜しか行ける時間がないことに気づき、地下鉄で神保町へ。

2011年10月28日金曜日

乱読のすすめ15-堀文子「ひとりで生きる」


 93歳の日本画家・堀文子さん

      “ 自由は、命懸けのこと。 ”

     “ わたしはいつも己と一騎打ちをしています。
        自分で自分を批判し、蹴り倒しながら生きる。
       そんな自由が好きなんです。”

2011年10月27日木曜日

映画のすすめ4ー田中 麗奈 (たなか・れな)













   明日は、参院の消費者問題特別委員会で、マルチ商法で有名になった山岡賢次消費者担当大臣に質問します。
  パチンコ業界とも関係の深い人で、よりによって、なぜこういう人が消費者問題担当の大臣に任命されたのでしょう。顔を思い浮かべるだけで、胸やけがしそうです。

    清涼剤がわりに、きれいな女優さんのことを、かんがえるようにしました。

2011年10月25日火曜日

絵本のすすめ9-「ヘンリー・ブラウンの誕生日」



  









   1800年代なかごろ、アメリカでは南部を中心に400万人もの黒人奴隷がいました。
   家畜同然のあつかいに耐えかね、自由を求めて、数万人が北東部へ逃亡しました。
   かれらの逃亡を支援したのが「地下鉄道」とよばれる組織でした…。

2011年10月24日月曜日

乱読のすすめ14-坂田昌一「原子力をめぐる科学者の社会的責任」











坂田昌一博士(1911-1970年)

   けさの新聞で、物理学者・坂田昌一博士の生誕100周年を記念した論集、「原子力をめぐる科学者の社会的責任」(樫本喜一編、岩波書店)が刊行されたと知り、さっそく今夕、神田の岩波ブックセンターで手に入れて一気に読みました。

    ときは1950年代から60年代。 坂田昌一博士は、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹、朝永振一郎博士とならぶ、日本を代表する物理学者でした。
  坂田博士は、「民主」「自主」「公開」の三原則をかかげ、拙速に原子力開発をすすめようとする当時の政府と正面からむきあい、「原子炉安全審査機構」のありかたを痛烈に批判するなど、身をもって科学者の社会的責任を果たそうとされました。本書は、その論述の記録です。

2011年10月23日日曜日

乱読のすすめ13―鬼平(おにへい)のきめことば











   火付盗賊改方(あらためかた)は、江戸時代の「特別警察」。長官(かしら)である長谷川平蔵は、容赦なく悪をとりしまり、盗賊などからは、「鬼の平蔵」と恐れられています。

   その活躍をねたむ町奉行など正規の役所から、「長谷川はやりすぎる。みずから刃をふるって賊を切って捨てるなど、お上のなすべきことではない」「長谷川だとて、むかし若きころは無頼の群れへ入って、悪事をはたらいていたというではないか」などと、非難が発せられます。

2011年10月22日土曜日

カンパニー

金井英明「大きな木ありがとう」










    けさ、新幹線にのるまえに、東京駅の書店で目にとまったのが、「株式会社という病」(平川克美、文春文庫)。知り合いの湯浅誠さん(反貧困ネットワーク事務局長)が解説を書いているので、車中で読んでみることに。
   経営者の一人でもある平川氏が、短期的な利益ばかりを追って不祥事をくりかえす「株式会社」というシステムを批判的に考察した本です。  平川氏の主張は、「病」のおおもとには、人間の欲望があり、それは「株式会社」のしくみと切り離せない、なぜなら、「株式会社」は、利益(欲望)を追求する目的でつくられた組織だからである―なんだか、当たり前のことをいっているようにおもえました。

    いままでも、会社=カンパニーのありかたを問う本は、

ひとりはみんなのために みんなはひとりのために












    先日、ある町を歩いていたら、小学校の玄関に、「ひとりはみんなのために みんなはひとりのために」という「標語」がはりだしてありました。運動会でも近いのでしょうか。チームワークの大切さを、こどもたちにうったえているようでした。

   「標語」の由来は、フランスの作家、アレクサンドル・デュマの「三銃士」のなかで、友情を誓いあうシーンに出てくることばです。その後、集団スポーツや社会運動の標語としても使われるようになってきました。

    何となく、いいことばだな、とおもいながら通り過ぎましたが、しばらくたって、ふと、「標語」には「自分」がない、とかんがえてしまいました。

2011年10月21日金曜日

絵本のすすめ8―「おとうさんがいっぱい」




    へんな作品です。
   ある日とつぜん、日本中の家庭で、おなじ顔をしたおとうさんが、2人も3人も登場します…。

   ホラーなのか、不条理なのか、諧謔(かいぎゃく)なのか、

2011年10月20日木曜日

乱読のすすめ12―福岡伸一「生物と無生物のあいだ」

       
                福岡伸一先生


     生命って、なに? とかんがえるのは、学者、研究者だけのしごとではありません。

     だれでも、ときおり、ばく然とでも、かんがえたりしているものです。

     それは、自分って、なに? と、問いかけることでもあります。

   テレビでもおなじみの分子生物学者、福岡伸一先生が、わたしたちの「探究」を手助けをしてくれます。福岡先生の本は、科学の解説書というより、文学的な香りをもった良質のミステリーのようです。物理、化学が苦手なわたしでも、ぐいぐい引きこまれます。

2011年10月19日水曜日

きれいな服をきて

絵・鈴木周作










    先日、国会のなかで開催されたある集会で、参加者の女性がいいました。

  「国会議員はみんな、きれいな服をきて、マイクのまえで話すけれど、わたしたち庶民の気持ちなんて、わかるのか」

    きれいな服をきて、(おいしいものを食べて)…
    共産党の議員にまでいわれるのかと、ちょっと、かなしくなりましたが、政治全体への苛立ちが、伝わってきました。

2011年10月18日火曜日

絵本のすすめ7-「おじいちゃんのごくらくごくらく」

   西本鶏介/作、長谷川義史/絵


   ゆうたくんはいつもおじいちゃんと一緒の「おじいちゃん子」。
なんでも、めんどうをみてくれるおじいちゃんが、ゆうたくんは大好きです。

   おじいちゃんがお風呂に入るときの口ぐせは「ごくらく、ごくらく」。ゆうたくんも、まねをすると、こころの中まであたたかくなりました。
  
   ある日、おじいちゃんは、こしが痛くなって、入院したまま、帰ってこなくなりました…。

2011年10月16日日曜日

乱読のすすめ11-渡辺尚志「百姓の主張」




   先日、JA(農協)の役員の方とお話をしていたら、つねに生産者を犠牲にしてきた歴代政府の農政について、「俺たち百姓をばかにするにも、ほどがある」と、きびしく批判され ました。

    百 姓という言い方が、力づよくて、かっこいいなとおもいました。

   百姓は、もともと中国から伝わった言葉で、たくさんの姓をもつ者=民衆一般を意味しました。
中世の頃から民衆の本分は農作であるとされ、江戸時代になると百姓は農夫の呼称となったようです(伊藤東涯「農ハ百姓ノコトナリ」)。

2011年10月12日水曜日

絵本のすすめ6―「でも すきだよ、おばあちゃん」

 

  おととい、埼玉県羽生市におられた入江金さんというおばあちゃんが、94歳で亡くなりました。
   ご高齢にもかかわらず、羽生から大宮まで、わざわざ私の街頭演説を聞きに来てくださったり、はげましのお手紙をいただいたりしました。
  金さんは、若いころから、世の中よくなれと願ってこられた、共産党員でした。お通夜で飾られた写真は、青空を背景にした明るい笑顔で、「さよなら。あんたはもっとがんばりなさい」とおっしゃっているようにおもえました。

   人はみな、いつかは命を全うするものだけれど、やっぱり、さみしい思いが残りました。

   家に帰って、本だなから、絵本「でも すきだよ、おばあちゃん」(スー・ローソン文、柳田邦男訳)をひっぱりだしました。

2011年10月10日月曜日

乱読のすすめ10―斎藤貴男「民意のつくられかた」



   きょう、函館からの帰りの飛行機のなかで読んだ一冊。

  「民意」とは何なのか。それはどのように形成されたのか。
  気鋭のジャーナリスト、斎藤貴男さんの「民意のつくられかた」(岩波書店)は、「原子力神話」、「事業仕分け」「選挙」などを題材に、世論を誘導するものの「実体」に迫っています。

  原発神話に疑問をていする者を排除、抹殺してきたマスメディアとその背後にあるもの、理念なき「劇場」と化した事業仕分け、五輪誘致を叫ぶ石原都知事の二枚舌とおごり、「景気がわるいのは皆さんに元気がないから」「格差は神が与えた試練」と本気でおもっている森田健作が千葉県知事に当選したのはなぜか、などなど、虚妄の民意がつくりだされるさまが描きだされ、こんなことで物事がきまっていいのかと愕然としてしまいます。

2011年10月7日金曜日

乱読のすすめ9―海外ミステリーの名作「幻の女」




    昨日は、NHKテレビ放映の国会質問で復興増税の問題をとりあげました(ホームページ参照)。
   役人が書いた答弁書しか読まない野田首相。菅さんにくらべても面白みのないのない人だなと。
   夜は、読みかけの佐々木譲の警察小説「密売人」を読了。これは、おもしろかった。

  作家・坂口安吾は推理小説の大愛好家で、みずからも推理小説を書きました。
  推理小説の評論家としても活発で、「推理小説について」(1948年)のなかで、 「文学が人間の問題として自ら犯罪にのびるのに比べて、探偵小説は、犯罪というものが人間の好奇心をひく、そういう俗な好奇心との取引から自然に専門的なジャンルに生育したもので、本来好奇心にうったえる頼もしいものであるべきで、もとよりそれが同時に芸術であって悪かろう筈のものでもない」とのべています。
  同時に、当時人気の横溝正史などの作品について、「なぞのために人間性を不当にゆがめている」と、「なぞときゲーム」に夢中になって、人間の描きかたが不自然だときびしく批判しています。

  そんな批判をうけながら、日本の推理小説は発展してきました。

2011年10月5日水曜日

われに増税を

ウォーレン・バフェットさん










  いま、アメリカで話題になっているのが、「投資の神様」といわれてきた資産家のウォーレン・バフェットさんのこと。

  8月15日の「ニューヨークタイムズ」への寄稿のなかで、バフェットさんは、「われわれ富裕層は税制面で甘やかされてきた」「貧困層や中流層の人たちが国のためにアフガニスタンで戦い、大方のアメリカ人が生活に苦労しているというのに、われわれ富裕層は、多大な優遇税制の恩恵にあずかってきた」とし、雇用対策や財政再建策として、自分たち富裕層への増税をよびかけました。

   バフェットさんの発言は、他のアメリカの企業経営者グループやフランス、ドイツなど欧米の富裕層にも共感をひろげています。

2011年10月3日月曜日

映画のすすめ3―君の瞳に乾杯

イングリッド・バーグマン









    映画「カサブランカ」は、第二次世界大戦中のフランス領モロッコの町、カサブランカが舞台。
    いまはバーを経営するリック(ハンフリー・ボガード)は、かつての恋人イルザ(イングリッド・バーグマン)に再会します。

  イルザの夫は、レジスタンス運動家のラズロ。モロッコにいるナチスはラズロを逮捕しようと狙っています。イルザは夫ラズロをアメリカへ脱出させるため、リックに近づきます。

2011年10月1日土曜日

風景は思想だ




 3月11日の大津波で、町の風景をうしなった三陸の被災地。これからどういうまちづくりをしていくのか、それぞれの自治体、住民のあいだで、真剣な議論がおこなわれています。

  93歳の日本画家・堀文子さんは、画文集「命といふもの」のなかで、「様々な国を旅して、『風景は思想だ』と私は確信した。風景は自然を取捨選択し、その国の人びとがつくりあげた作品なのだ」と書いておられます。

  堀文子さんは、「群れない、慣れない、頼らない」と、孤立無援でも自由な生き方を求めてこられました。透明感のある絵も、時代をみすえた随筆も、凛(りん)とした美しさがあります。

  堀さんのおっしゃるように、まちの風景は、自然との関係のなかで、人間がつくりだすものです。
その人間が、自然と社会のありようについて、どういう思想をもっているのかで、風景はきまるということでしょう。