2011年10月20日木曜日

乱読のすすめ12―福岡伸一「生物と無生物のあいだ」

       
                福岡伸一先生


     生命って、なに? とかんがえるのは、学者、研究者だけのしごとではありません。

     だれでも、ときおり、ばく然とでも、かんがえたりしているものです。

     それは、自分って、なに? と、問いかけることでもあります。

   テレビでもおなじみの分子生物学者、福岡伸一先生が、わたしたちの「探究」を手助けをしてくれます。福岡先生の本は、科学の解説書というより、文学的な香りをもった良質のミステリーのようです。物理、化学が苦手なわたしでも、ぐいぐい引きこまれます。

 
   きのう、高松と羽田を往復する飛行機のなかで、読みはじめたのが、「世界は分けてもわからない」(講談社現代新書)。
   この本のまえに、福岡先生は「生物と無生物のあいだ」(同新書)を書かれました。「世界は分けても…」は、その続編にあたります。

  「生物と無生物のあいだ」は、いまや70万部をこえる、大ベストセラー。
  数年前、この本を読んだとき、人間の(自分の)生命のふしぎさに驚きました。

   「生命とは、自己複製を行うシステムである」
  「原子は小さいのに、なぜ人間のからだは大きい必要があるのか」 
  「生命とは、代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」
 …一見むずかしそうな話が、詩的、映像的に描かれ、なぞ解きのように楽しい。
   また著名な研究者たちの生々しい「発見」争奪戦、そのなかの幸運と不運、野望と純真のコントラストも人間物語として興味深く読めます。

    生命の秘密を解き明かしながらも、福岡先生はあくまで謙虚です。
   「生命という動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。…それは決して逆戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でも完成された仕組みなのである。…これを乱すような操作的な介入を行えば、動的平衡は取り返しのつかないダメージを受ける。…私たちは自然の流れの前にひざまずく以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである」(エピローグ)