2011年10月23日日曜日

乱読のすすめ13―鬼平(おにへい)のきめことば











   火付盗賊改方(あらためかた)は、江戸時代の「特別警察」。長官(かしら)である長谷川平蔵は、容赦なく悪をとりしまり、盗賊などからは、「鬼の平蔵」と恐れられています。

   その活躍をねたむ町奉行など正規の役所から、「長谷川はやりすぎる。みずから刃をふるって賊を切って捨てるなど、お上のなすべきことではない」「長谷川だとて、むかし若きころは無頼の群れへ入って、悪事をはたらいていたというではないか」などと、非難が発せられます。


“   しかし平蔵、そのような不条理は百も承知であった。人間と、それを取り巻く社会の仕組みのいっさいが不条理の反復、交錯であることを、平蔵はしっかりわきまえていた。

   「おれの仕様がいかぬとあれば、どうなとしたらよい。お上が、おれのすることを失敗と断じて腹を切れというなら、いつでも切ろう。世の中の仕組みが、おれに荒っぽい仕業をさせぬようになれば、いつでも引き下がろう。だが、いまのところ、一の悪のために十の善がほろびることは見のがせぬ。むかしのおれがことをいいたてるというのか……あは、はは……ばかも休み休みにいえ。悪を知らぬものが悪をとりしまれるか」  ”
                                       
                                                                            (池波正太郎「鬼平犯科帳2<蛇の眼>」より)