2012年9月1日土曜日

「それでも日本人か」

安田浩一(講談社)










   野田総理問責決議案が可決された8月29日の参議院本会議。
   問責決議に先立って、竹島・尖閣 「上陸非難」2決議が、民主、自民、公明、みんな、生活などの賛成多数で議決。日本共産党は反対しました。
   わが党は、尖閣諸島は「日本の領有権は歴史的にも国際法上も明りょう」という立場。竹島についても、「日本の領有の正当性には根拠がある」という見解をすでに1977年に発表しています。ただ、竹島問題を解決するうえで、過去の植民地支配の根本的な清算を日本側がしっかり行うことが大事だと考えています。
   領土問題は、歴史的事実と国際法上の道理にのっとり、冷静な外交交渉によって解決をはかるべきであり、感情的な対応をエスカレートさせることは双方が自制すべきという立場から、今回の「決議」には反対しました。

   ところが、その本会議場で、自民党議員の一人が、わが党の席にむかって、「それでも日本人か、(反対なら)韓国へ行け」というヤジ、暴言をとばしました。ふだんはとても大人しい中堅議員です。私がにらみ返すと、下を向いてしまいました。

 そのとき、しばらく前に読んだ、フリージャーナリスト・安田浩一さんの本、「ネットと愛国」(講談社)を思いだしました。
 この本では、反在日、反中国などをかかげ、過激な行動をくりかえす日本の「市民団体」のすがたがリアルに描かれています。かれらが、人種差別まるだしの街頭演説などを行っているときに、聞くに耐えかねて抗議する人がいれば、その周りを取り囲んで、「おまえはそれでも日本人か、朝鮮人だろ、朝鮮へ帰れ」と口汚く罵倒するのです。
   安田さんによれば、行動に参加する若者の一人ひとりは、普段は大人しい、どこにでもいる「フツ―」の青年たちだとのこと。そういう青年たちが、かんたんに人にレッテルを貼り、攻撃の対象にしていく。ヤジをとばした自民党議員のなかにも同じものを感じて、ぞっとしました。

幸徳秋水
(1871-1911年)











 ところで、大逆事件(1910年)で死刑にされた幸徳秋水は、愛国心についてつぎのようにのべています。
   「わたくしは、いわゆる愛国心が、純粋な同情・惻隠の心でないことをかなしむ。なんとなれば愛国心が愛するところは、自分の国土にかぎられているからである。自己の国民にかぎられているからである。他国を愛さないで、ただ自国を愛する者は、他人を愛さずして、ただ自己の一身を愛するものである。うわついた名誉を愛するのである。利益の独占を愛するのである。公正といえるであろうか。私ではない、といえるだろうか」(『廿世紀之怪物帝国主義』神埼清訳)

   国を愛さない人はいない。しかし、ほんとうに国を愛するとはどういうことなのか、ふたたび真剣に考えなければならない時代にきています。